ガエタノ・コンプリ神父様と小日向キリシタン屋敷

ガエタノ・コンプリ神父様  サレジオ神学院 チマッティ資料館館長

182-0033 調布市富士見町3-21-12

コンプリ神父様と最初にお目にかかったのは文京区長やイタリア大使同席のもと文京シビックセンターで行われた「キリシタン屋敷跡埋蔵文化財調査における記者会見」の席上でした。4月4日(月)のことです。

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この学術調査の結果、キリシタン屋敷で発掘された墓の中の遺骨が、300年前地下牢で亡くなり、遺体が「裏門脇」に土葬されたシドッティ神父のものであることが明らかになった。この発見の意義や小日向の静かな住宅地の一角の重要史跡の今後のあり方などのお話を聞きたく調布のサレジオ教会にお邪魔しました。

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(サレジオ神学院とコンプリ神父)

 コンプリ神父は高校生向けの哲学や倫理の教科書はじめ日本語での著作もたくさんおありですが、日本における「キリストの聖骸布」の研究の第一人者で、その著作は日本語だけでなく韓国語、中国語にも翻訳されています。

IMG_8006(著作の写真)

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イタリア人のコンプリ神父様が日本語で本を書かれるというのは驚きですが、それがよその国に翻訳出版されるとは大変なことですね。

コンプリ神父はちょうどローマ、シチリア巡礼旅行からお戻りになったばかりでしたが、「キリシタン屋敷に関する新しい資料を今回の巡礼中に入手することができて、たいへん興奮しています」。と切り出していただきました。

コンプリ神父の略歴を伺いました。

コンプリ神父は北イタリア ヴェローナの出身。来日したのは1955年、25歳のときで、まだ神学生だったそうです。その活動ぶりやお元気な立ち居振る舞いを拝見しているととても86歳とは思えません。なぜ日本にいらしたのでしょう。「中国に行きたかったのですが毛沢東の時代で入国が不可能でした。そこで中国の近くの日本に来ることにしたのです。」

来日3年後下井草教会で司祭となり、その後6年間大分県中津の「ドンボスコ学園」の児童養護施設の施設長を務め、その後育英工業高等専門学校で宗教・哲学を教え、サレジオ中学校・高等学校の校長を16年間務められました。1987年から5年間著述に専念し、宮崎日向学院の理事長、東京カトリック下井草教会主任司祭を歴任、現在はサレジオ神学院にあるチマッティ資料館の館長を務めていらっしゃいます。

小日向のキリシタン屋敷とサレジオ神学院も深い関係があります。

シドッティ神父の前に1685年まで、キリシタン屋敷にキアラ神父が幽閉されていましたが、彼は棄教して岡本三右衛門の日本名を与えられ、亡くなった後に火葬され、小石川戸崎町の無量院に墓を建てられました。1909年、無量院の境内は縮小され、キアラ神父の墓石は雑司が谷へ移されました。戦時中、サレジオ会のタシナリ神父がそれを発見し、許可を得てサレジオ神学院に移しました。今、調布市の有形文化財となっています。遠藤周作は「沈黙」においてキアラ神父をロドリゴ神父のモデルとしました。

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また、伝通院境内にはキアラ神父の墓碑もあります。

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 今回、コンプリ神父がイタリアのシチリア島でパレルモから100キロメートル離れたキアラ神父の故郷キウザ・スカラファニで追悼ミサをささげました。その際、教会で「キアラ神父殉教の肖像」を見せられました。当時、鎖国のため情報がなく、日本で殉教したという噂が流れていました。肖像には、首に何本もの竹串が突き刺さっている姿です。

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さらに、シドッティ神父の故郷パレルモには、その実兄で、司教の代理を務めていたフィリッポ神父の肖像画も今回見つかりました。IMG_7799 IMG_7797(写真)

コンプリ神父に今後のキリシタン屋敷跡について伺いました。

「一人でも多くの方に小日向の住宅街の一角にキリシタン屋敷があったこと、そこには江戸時代に命をかけて日本に潜入した宣教師が幽閉され、中にも「沈黙」のモデルキアラ神父、新井白石の「西洋記聞」の情報を提供したシドッティ神父のことを知ってもらいたいのです」。そのために、興味のある方々のご意見とご協力を得ることが大切です。今年は、日伊国交成立150周年にあたるので、この二人のイタリア人を記念するための良いチャンスです。

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(2016, 06, 15)

参考:

なお、シドッティ神父がイタリアから持参した「親指のマリア」図は重要文化財に指定されて上野の東京国立博物館にて所蔵され、7月10日(日)まで公開されています。(http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1679)。国立博物館のサイトには「長崎奉行所旧蔵品」と書いてあります。シドッティ神父から取り上げたのが長崎奉行所だったわけですね。 また、目黒碑文谷のサレジオ教会の大聖堂は「親指のマリア」を記念して「江戸のサンタマリア教会」と名付けられたそうです。

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 (2016,06,22)

2 thoughts on “ガエタノ・コンプリ神父様と小日向キリシタン屋敷

  1. Pingback: 特選!茗荷谷界隈⑫小日向のキリシタン屋敷跡と杉並のサレジオ神学院を結ぶ点と線 – JIBUN

  2. コルベ神父に興味があり、故郷のポーランドのゆかりの地を今年の夏に周り、先月は長崎を回り、ついにはキリスト教に興味を持ち、最近は近所の教会でミサに参加させて貰いながらキリスト教について少しずつですが勉強しています。
    こちらで紹介されていることも、初めて知る事でとても興味深いです。近いうちにサレジオ教会に親指のマリア様のレプリカを会いに行きたいです。

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