大人の香り

 自宅の居間の、オーディオ装置をすえた棚の一角にチメルフのプードルを置いている。

 それはリアルな姿をしているわけではなく、目も鼻もない抽象化された表現なのに、誰が見ても一目でプードルと分かる形をしている。

 わずかに角度を変えて開いた前脚は優美な長さを、左右の脚を一体に表現した後脚は豊かなボリュームを感じさせる。直線的な背中の線に対してほとんど垂直に、長い首がすらりと伸びている。その首から前脚へかけての長い湾曲と、背骨の直線、前脚から腹部を通って後脚にいたる崩れた台形のような曲線の組み合わせが、なんとも優雅な調和を見せている。

 色使いは単純だ。黒い全身に、首輪の部分だけわずかに金。全身にかけられた黒釉を針で引っ掻き、真っ黒い顔と尾を除いて白い地肌が網の目状に見えている。

 そんなふうに抽象かつ単純化され、かといって極端には走らない品のよさを見るたびに思う。最近のこの国を覆っているお子さま文化とはまったく別の、これは大人の文化だな、と。

 チメルフのフィギュアは、そのほとんどが1950年代から60年代前半にかけてポーランドでデザインされている。プードルもそのひとつ。そのことを知ったとき、「1950年代・ポーランド・大人の文化」というキーワードで思い出したものがある。高校時代に見た映画『夜行列車』のことだ。

 なにかから逃げてきた中年男と、追いすがる若い男から逃れようとしている女が偶然、夜行列車の同じコンパートメントに乗り合わせる。物語のほとんどが1本の列車のなかで展開し、背後にはジャズが流れる。不安と孤独を内に秘めた男と女が一晩だけ同じコンパートメントで交錯するミステリアスなその作品は、高校生が初めて接した大人の香りのする映画だった。

 この映画がつくられた1950年代、ポーランドは社会主義国だったけれど、その底に社会主義イデオロギーで覆いつくせないヨーロッパの成熟した大人の文化が流れているのが高校生の身にも感じられた。

 これには社会的な背景がある。ポーランドでは1955年にゴムルカ政権が誕生し、「雪解け」と呼ばれる政策が採用されて国内の統制がゆるんだ。その結果、公式的な「社会主義リアリズム」にとらわれない、それまで地下に伏流していたさまざまな文化がいっせいに花開いたのだ。

 映画では『影』『地下水道』『灰とダイヤモンド』といった映画史に残る傑作が生まれた。ジャズが盛んになり、『夜行列車』でクールな演奏を披露したグループはアメリカのニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演した。小説でも、異端作家の幻想的な文学の出版が許されるようになった。

 キュビズムの流れを汲む抽象・単純のチメルフの動物たちがつくられたのも、そんな伸び伸びした時代の空気あってのことだったにちがいない。有名無名のデザイナーや職人たちが競ってつくりだした数々のチメルフからは、自由と活気に満ちた時代のふくよかな香りをかぐことができる。

 それらは半世紀を経た今も、生き生きとした命を保っている。

山崎幸雄 (元「アサヒカメラ」編集長) 2006年7月24日