米国への移民と以降の活躍

ルボミール・トマシェフスキー氏は当時を振り返りながら「猫や小さなウサギ、ペンギン、美しい女性はどうやっても一つのデザインにしてしまうことは出来ません。」「そのうち私は磁器のティーセットに興味を持つようになりました。頭の中で水が一杯入ったティーポットを想像してお茶を注ぐときの中の液体の動いていく様子をどのように中のお茶は重心を移していくのか考えながら想像したのです。水差しとしての機能は当時私の三歳の娘でもティーポット一杯に入ったコーヒーを安全に注げることを前提に確認しました。私はそれまでどこにも存在しない総合的(Synthetic)なデザインをすることにしました。」その結果1962年に「Ina」と「Dorota」のコーヒーセットを創ったのです。この磁器のティーセットは海の貝に似たまったく新しい形をしています。「Ina」はフラットな感じで「Dorota」は少し背の高い形をしています。ティーポットもカップも伝統的な取っ手の形をしていません。コーヒーを飲むときは両手を使わなければなりません。イタリアのチョコレートの会社がやってきて「Ina」50万個を注文しました。ポーランドにある工場すべてを動員してもそんな沢山は作れない量でした。そこで、私達は注文を断りました。しかし、「Ina」と「Dorota」のコーヒーセットはポズナニやパリで展示されました。フランスのテレビ局が注目しました。西側諸国では「Ina」に注目しました。ローゼンタール氏自信が製作者の私自身を雇うことも含めてデザインの著作権を買おうとしました。そのためにローゼンタール氏がポーランドにやってきたのです。で、そのとき、あの社会主義国家の政府様は何をしてくれたと思いますか?ローゼンタール氏がポーランドへ来る前に、彼らは私にパスポートとビザを2週間で発行し(当時、パスポートをもらうには少なくとも通常2年は待たなければならなかったのです。)、私をパリに追い出したのです。そうとは知らず、私はこれまでの働きに対する報賞だと思い誰かに認められたことを誇りに思い有頂天になっていました。こうして私は(わざわざポーランドに来た)ローゼンタール氏と会うことができなかったのです。後になって彼は政府から「折角ですが私たちは社会主義国家としてのプライドを持っています。私たちだけでうまくやっていくことができます。西側の助けは必要ありません」と言われたことを聞かされました。私は政府のこうしたやりかたを許すことが出来ませんでした。馬鹿にされ侮辱されたと感じたのです。私は芸術における社会主義というものを受け入れることはできませんでした。その結果注文も仕事も私には無かったのです。それから何度も国を出ることを考えるようになりました。そしてある時私の親戚がアメリカに呼び寄せてくれるという機会がやってきました。私はアメリカに渡り、戻らないことを決めました。その結果、ひどい脅迫があったとしてもあるいは私の家族内の関係に悪い結果をもたらしたとしても戻らないことを決めたのです。勿論、私の家内も一緒に行けませんでした。5年経ってやっと私の娘たちがアメリカにやってくることができたのです。最初は、たいへん厳しいものでした。ルボミール・トマシェフスキーは石や金属のかけらを使った作品を売って生活をしていましたが、やがて彼の芸術と自然を一体化したいという純粋な夢は満たされるようになって来ました。彼はより大きな彫像を創り、ニューヨーク近代美術館(MOMA)の小さなギャラリーで展示されました。これは非常勤でブリッジポート大学、アメリカでは現代デザインに関する二つのすぐれた大学の一つ、で講師をしてもらっていたサラリーへのボーナスでした。「私は生徒に形を教えたのです。ただ、私は常に人間の各要素の役割について言い続けてきました。私はこれを人体測定学(Anthropometry)と呼びます。これは例えば体の各要素の動きによって作り出される人間の形についてなどの人間工学からくる発見にも影響を受けています。私は東海岸でもっともすぐれた教師と考えられていました。」

ルボミール・トマシェフスキーは既に名声を博していましたが、また彼は普通の物差しでは計れないアーティストでもあります。ニューヨーク・タイムズ紙は彼を「動きの彫刻家(sculptor of movement)」と呼びました。彼の彫刻は自然から生まれます。自然の素材、たとえば石、木また金属から創造されます。銅版の絵、バーナーの火によって描かれた絵なども含まれます。最初は驚きますが、見ているうちに楽しくなるのです。彼の作品は世界中の著名な美術館で展示されました。しかし、彼は常に芸術はより人間的に優しく、人々のためにあるべきだという信念を持ち続けています。彼は芸術に対して同様な考え方をする人々と一緒に新しい主情主義(Emotionalism)という一派を作りました。
2002年の10月、ルボミール・トマシェフスキーは長い不在の後、「ワルシャワ蜂起」を記念して描かれた「炎で描かれた絵(Painted with fire)」をワルシャワにあるポーランド科学大学で展示するために初めて、ポーランドにやってきました。展示会は大きなインパクトを与えました。彼の古い仲間、ミェチスワフ・ナルシェヴィチ(Mieczyslaw Naruszewicz)もオープニングにやってきました。
ワルシャワで彼はチメルフで今日「AS」と呼ばれる元「シヴィッツ」のオーナー、アダム・スパワに出会いました。50年前の思い出がよみがえりました。アメリカではルボミール・トマシェフスキーは磁器や磁器のフィギャには何の関係もありませんでした。以前彼がデザインした彫像が今でも有名で、いろいろな美術館や個人のコレクションとして飾られていることに驚きを禁じ得ませんでした。アダムから彼自身がデザインした「リラックス(CM067)」を受け取りながら、もう一度チメルフのためにデザインをする気持ちがないかどうか尋ねられたのです。彼はそのとき「ポーランドは私のデザイン料を支払えるのかい?」と笑いながら問い返したと言います。

昔のセンチメンタルな思い出は別にして、彼はデザイン・スケッチや石膏モデルをチメルフに送ることを決めたのです。最初のモデルはうまく行きませんでした。「扇を持つレディ」は8つの部分に分けて送られて来ましたが運送中に取り返しの付かないほど破損してしまったのです。チメルフのスペシャリストにより小さな割れた破片を集めて接着することはできました。アメリカの石膏はポーランドのものよりも壊れ易いことがわかったのです。技術的な問題は解決されて磁器工房の「AS」はルボミール・トマシェフスキー氏の新しいモデルを加えて品揃えを豊富にすることができたのです。「ヴィーナスの誕生(CM185)」「トゥギャザー(CM184)」「生命の喜び(CM181)」「バレリーナ(CM180)」「レディ(CM179)」「朝だ!歩こう!(CM183)」「ドリーミング・ガール(CM186)」「エキセントリックな女性(CM182)」「恋するケイト(CM188)」が新しく加わりました。

それぞれのフィギャはカタログ番号とシリアル番号がつけられています。シリアル番号は13番から上の番号が付されています。12番より下の番号は家族などのためにとってあるのです。たとえば1番を付けた「レディ(CM179)」は夫君と共にチメルフの「AS」工房をご訪問いただいたベルギー ラントシーア(Lantsheere)のジャドウィガ・ドルツキ・ルベツキ(Jadwiga Drucka-Lubecka) 王女に自ら作られた象のフィギャとともにお受け取りいただきました。ドルツキ・ルベツキ家は昔チメルフ工房のオーナーであったことを申し添えて置きたいと思います。

「犬と女性」はアメリカ人をモチーフにしていますが、それぞれの地域ごとに特徴を出したシリーズとなります。このコレクションはデザイナーによれば「円滑な動き(Smooth movement)」というルールに従って作られます。彼自身絵付けの方法についても決めたものを持っています。かれは石膏モデルとともにデザイン画を送り、その中でもっとも相応しい絵付けを方法を提示しています。
この件に関して、彼は譲りません。ほんのわずかでも元のデザインと異なると直しを求められるのです。彼自身が見たままに絵付けされなければならないのです。ただ、「AS」工房を訪れたとき、かれは賞賛を隠しませんでした。自ら彫像の作成をしてみて、女性のペインターがひとつづつ手描きのペイントをする様子に感心したようです。また、アダム・スパワが考えた「生きた美術館」構想にも賛同を示しています。ルボミール・トマシェフスキー氏はポーランドで一番大きく、ヨーロッパの中でもユニークな炉(直径10メートル)の内部にも入って見ました。ここは現在では会議室として利用されていますが、訪問された方にはチメルフと「AS」工房のフィルムを見ることができます。将来は多くのアトラクV ョンが準備される予定に なっているのです。ルボミール・トマシェフスキー氏は少なくとも年に一度は「AS」を訪問することにしています。彼はAS工房が彼の作品を細心をもって正確に制作くれることを喜んでいます。「これこそポーランドが世界に誇るべきことだ」と、彼は言います。彼はまたミェチスワフ・ナルシェヴィチ(Mieczyslaw Naruszewicz)と一緒に仕事をしたことを思い出して、「ナルシェヴィチも彫像のデザインを始めてくれると良いのに、彼に協力を呼びかけて見たい。アダム・スパワの一途な目標と情熱はあの時代を蘇らせることができる。アダム・スパワはビジョンをもっているし、そのビジョンによって我々は、また一緒にやれる。」この他にもカジミエシ・チュバ(Kazimierz Czuba)とアダム・スパワのデザインによる新しいプロジェクトの作品も世界中で人気を博しています。「AS」工房の作品は既に世界各国の、特別なギャラリーで名を馳せるようになっていますが、 もし、世界各国の異なるデザイナーが、たとえば、日本のデザイナーとの協力が実現すると良い効果を工房にもたらすことになるでしょう。日本の市場や外部からはうかがい知れない深い伝統を工房は学ぶことができ るはずです。これらすべてが「主情主蜍`(Emotionalism)」の枠内でおこなわれ、極上のアートを作り出すことができるのです。これは単に有名なアートという以上に見る人にとって親しみ易い芸術作品をめざすことを意味するのです。