茗荷谷 札幌軒
文京区大塚1−4−10銀嶺ビル2F
電話 03-3947-9225
茗荷谷の改札口を出て、前のビルを見上げると「札幌軒」「茗荷谷名物!!肉丼の店」「肉丼」「金賞」の赤い看板が目に入ります。家で仕事(といっても色々ですが)をしていると, つい昼の時間から大きく遅れてはや2時3時。ほとんどのランチは終わっています。そんな時頼りになるのが午後も休みなしの駅前「札幌軒」です。
昼間は息子さんが、夕方から深夜まではお母さんが調理場に立つ児玉さん一家が切り盛りするお店です。(お母さんについては昨年11月発行の「空(kuu)マガジン」59号をご覧ください。)
札幌軒の始まりは昭和47年(1972年)。今から44年前のこと。もともと一家の家業はお祖父さんが大塚公園の前で始めた「床屋さん」。昭和29年(1954年)に丸の内線開通に伴い茗荷谷駅前にも出店。その後サッポロラーメンブームの様子を見て昭和47年にこの駅前店は床屋さんから業種替え。「札幌軒」が生まれました。 当時の地図を見ると「紫山堂」は今と同じ場所に。その隣に「どさん子」と「サッポロラーメン札幌軒」と二軒のラーメン屋さんが並んでいるのがわかります。
2010年には駅前再開発により建設された新しいビルの2階に移って今に至りました。 駅前の1階にあったころを懐かしむお客様も多く、当時の写真やスケッチが店内に飾られています。
拓殖大学の運動部、特に相撲部のみなさんは開店当時から良いお客様です。(今は八王子キャンパスに移ってしまいました)。
2014年から2年連続「一般社団法人 全国丼連盟」主催の「全国丼グランプリ 肉丼部門金賞」に輝く当店名物、ボリューム満点の「肉丼」は、30年ほど前、父上が拓大相撲部員のリクエストに応えてあり合わせの材料を組み合わせる形で誕生したものです。 25年ほど前に継いだ二代目がその後改良を重ねたのが現在の「茗荷谷名物 肉丼」なのです。
肉丼には「大盛り」「肉(だけ)大盛り」「超大盛り(肉1.5倍、ご飯2倍)」、など糖質制限の私には想像してはならないメニューが並びます。この他「チャーシュー丼」、肉丼とチャーシュー丼のハーフ&ハーフの「ブーブー丼」、チャーハンと卵焼きを合わせた「チャン玉」などユニークな名前も興味を引きます。メニューだけ見ると食欲旺盛な男どもの専門店かとも思ってしまいますが、「新しいビルの2階に移ってからは女性のお客様も増えました」 と二代目。肉丼には「プチサイズ」も用意、ニンニクを使っていないので女性にも人気だそうです。
グランプリ金賞獲得以来、各地の催しに呼ばれる機会も増え、昨年は大井町駅前に参加して完売、今年は静岡県富士市からもお呼びがかかっているそうです。
お店の暖簾やTシャツには「どこにでもある味よりもここにしかない肉丼を喰う 四六」とあります。「四六」は二代目「司郎」さんお気に入りのサインです。
私は、35年程前の拓大柔道部の卒業生です。
サッポロ軒は、学生時代に大変お世話になった、懐かしくも恩の有るお店です。
貧乏学生だった我々は、よく通い、1年上の先輩は、部活の合間にアルバイトをしておりました。
私も人手が足らない時など、よくお店の手伝いに駆り出されて、洗い物や仕込み、裏で餃子などを作っていました。夜の営業が終わった時など、自宅に呼ばれて、お酒やご飯を御馳走いなっておりました。
肉丼は、私が2年生の頃、アルバイトに行っている先輩が、まかないで、野菜炒めなどに使うボイルした豚肉にニラと豆板醤、チャーシューを煮た醤油で炒めたものを丼に乗せて作ったものを、カウンターで食べていた所、他のお客さんも、リクエストする様になり、お店の看板目目メニューになりました。
先輩の一人は、卒業後、サッポロ軒に就職し、柔道部御用達のお店になり、八王子に移転するまで、数十年間、お世話になったお店です。
近所で床屋さんもされていたので、よくスポーツ刈りのカットモデルをして、タダで髪を切ってもらっておりました事もあり、懐かしい思い出です。
先日、数十年ぶりにお店で肉丼を頂きました。
マスターは、残念ながら、数年前に亡くなられたようで、ママさんは、自宅で元気されている様です。