かぶき うぃず ふぁみりぃ

BIG DADDY酒場
かぶき うぃず ふぁみりぃ
ザ・グレート・カブキ
小石川1-25-9
営業:火曜日-土曜日 午後6時から11時
休み:日、月、祭日
電話 03-5800-5801

共同印刷から千川通りを後楽園方面へ向かって信号3つ目。 左へ曲がって井上牛肉店の少し手前にあるのが2016年3月にオープンしたBIG DADDY酒場「かぶきうぃずふぁみりぃ」。
井上肉店や越後屋さんの豆腐を買いに行くたび、通りに面した広いガラス戸を通して夕方の早いうちから「いつも賑わっているなぁ」と思っていました。
本名米良明久さんが「力道山」の日本プロレスに入門したのは15歳。1964年(昭和39年)こと。入門したての新弟子の仕事は「ちゃんこ番」(相撲部屋と一緒ですね)。この料理の経験が今役立っているそうです。
デビュー戦は同じ年の花巻でした。

その後1970年に米国へ渡りカリフォルニアから全米を「タカチホ」のリングネームで転戦。3年後の1973年に一旦日本へ戻りますがその時はすでに日本プロレスは無く、ジャイアント馬場の全日本プロレスに所属することになりました。

1978年に再渡米。1980年、テキサスで「ザ・グレート・カブキ」のリングネームと歌舞伎の隈取り、独自に編み出した口から吹き出すグリーンと赤の「毒霧」でアメリカプロレス界での大活躍となりました。ただの物珍しさだけではなく卓越した受け身術により「派手で大きな投げられ方」も興行的な魅力だったようです。
1998年、プロレスラーとして50歳(正確には49歳と364日目)の時に一旦(?)引退。奥さんと一緒に飯田橋に居酒屋「ねばーぎぶあっぷ(NEVER GIVE UP)」を開きました。ただ、その後も招かれるたびに2年ほどは週末に試合をしていましたのでお店はウィークデーだけの営業だったそうです。17年間の飯田橋で営業ののち奥さんの実家(元はふとん屋さんだったそうです)のある小石川に移って始めたのが「かぶきうぃずふぁみりぃ」です。(飯田橋の「ねばーぎぶあっぷ」は後輩の元気美佐恵さんが引き継いでいます)。
昨年末12月22日には後楽園ホールで「KABUKI THE FINAL」、「東洋の神秘ザ・グレート・カブキメモリアルマッチ」も行われました。69歳でプロレスの試合! ただ驚くばかりです。

古希を迎える今年11月には「古希スペシャル」と銘打って、「かぶきうぃずふぁみりぃ」20周年、格闘技人生55周年記念が開催されます。

店内にはこれまで使ったマスク、力道山, ザ・デストロイヤー、ジャイアント馬場の写真、ポスター、ドリー・ファンクJRのジャンパーなど、プロレス好きにはたまらない品々が並びます。「北は北海道から九州までプロレスファンが来てくれます。」と言うのも十分理解できます。

九州出身米良店主のおすすめメニューはちゃんこと牛スジ味噌煮込み。奥さんと一緒に考えたと言う料理の名前もユニークです。「ドリーテリー焼き」「回転えび固め」「ガッテム・ポテト」「アブドラ・ザ・ブッタ串」「アッジーフレア」。うーむ。

「うぃずふぁみりぃ」としたのは「家族のように界隈の皆さんにも気楽に立ち寄っていただきたかったのです。味には自信があります。お子さん連れも歓迎です。」とのことでした。
引退した今でも毎日柔軟体操は欠かしません。「走るのも体に良いですよ」と勧めていただきました。(5月17日)

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