ドミ
茗荷谷駅前のランドマーク、ドミのお話を伺ってきました。昭和46年に共同印刷の大橋社長が持っていた土地に建築した当時の「億ション」です。今や、唯一残っている当時のテナント「森理容室」。当時、大橋社長の調髪をしていた関係でテナントに迎えられたそうです。
現在のローソン、美容室の入っているところにあったのが「ステーキハウス土味」、今の中華「仙鶴楼」の辺りにあったのが「レストランDADA」、「デカダンスデュショコラ」の前がフレンチの「ボングー」、その前が和食の「丸長」、その前が「トレッカ」、「トップインテリア」の辺りにあったのが「ジュジュ」だそうです。
当時の「ドミ」のパンフレットも見せて頂きましたが、当時の附近の様子を残す貴重な資料です。(2015, 04, 30投稿)
私もこの理容室に通っています。
お話をお聞きになったかもしれませんが、、、
もとのオーナー森さんは故郷の気仙沼に帰っておられます。
高橋さんという女性が、森さんの名前で「森理容室」として
営業されていますね。
森さんにお家賃を支払っているそうです。
ありがとうございます。高橋さんからお話をうかがわせていただきました。
また、何か情報がありましたらぜひお寄せください。 稲富
子供の頃、よくトレッカで食事したり
ジュジュで買い物していました。
最初の頃は買い物袋は白地に赤文字で
ひらがなのじゅじゅでしたが、
後にjoujouとアルファベットでかかれた袋に
なりました。
丸長とありましたが、まるの中の文字は
長でなく丁でしたね。
メニューに書いてある金額の単位が円でなく
丁で書かれていたのが
オシャレだなぁと思っていました。
お店で使われている食器と同じものを
買うことができ、
母が気に入って買っていた記憶があります。
大昔の1970年代(中高生の6年間)、このマンションに住んでいました。
狂言師の重鎮をはじめVIPやセレブも住んでおられ、エントランスの階段やロビーですれ違う訪問客の政治家も右から左まで揃っていました。故鳩山邦夫氏が元総理の角栄さんの秘書だった経歴を隠して新自由クラブ推薦で立候補したこともまだ記憶に残っています。旧東京8区は鳩山さん以外にも大物政治家揃いで、山田久就(自民)、深谷隆司(自民)、中川嘉美(公明)、金子満広(共産)の各氏がいた時代です。
共同印刷の労使紛争で組合のデモ隊にマンションが取り囲まれたり、旧東京教育大の職員が筑波移転反対で正門前でピケ(座り込み)を張っていました。
お隣の韓国は軍政の真最中で、金芝河氏救出のビラが街灯に貼られ、ホテル・グランドパレスでの金大中氏拉致事件、朴正熙大統領夫人射殺事件、金炯旭元KCIA部長失踪事件、朴正熙大統暗殺事件など暗い事件が相次ぎました。
向かいの美容室の屋上プレハブが火災で全焼したこともありました。
拓大は空手部の新入生リンチ殺人事件で大騒ぎでした。体育会系の学生が懲りずに茗荷谷駅前で整列して怒鳴りながら先輩学生に挨拶する姿は不気味そのものでした。
近所の別のマンションに女優のロミ山田さんが住んでおられたため、マンションの”ドミ”とロミを勘違いしてロミ山田さんを訪ねて来られる珍客が結構おられ、「ここ、ロミ山田さんのマンションですよね?」訊かれたこともしばしばありました。当時はまだ個人情報だのセキュリティだのが問題にならないのんびりとした時代でした。
マンションは当時まだ珍しい15階建てで、眺望は抜群、九段高校や白百合学園の天文ドームがハッキリ見えました。白山方面には朝鮮画報社などのプロパガンダの看板がよく見え、初めて”北”の存在を意識したのもこの時代でした。
ステーキハウスの土味、トレッカ、雑貨のジュジュはよく行きました。ジュジュの木工品は素朴で楽しく、筆箱やロッキングチェアは愛用品でした。焼肉の和はまだお好み焼き屋さんでした。子供だったのでスナックのダダにはご縁がありませんでしたが、いつも店の前にハーレーが停めてあったのは印象的です。
郵便局の上には小石川医師会とタイム・ライフ社が入っていました。
駅前のマックは当時、バーガーショップのA&W(今でも沖縄では健在)で今でも珍しいルートビアやコニードッグ(カレー味のホットドッグ)が定番でした。その後、同じくバーガーショップの明治サンテオレに変わり、マックになりました。マックに隣接するローソンは東宝パーラーでした。その間にKFC、2Fにピザハットがありました。
定食屋のバンビも数店舗あり、当時はお茶の水、本郷、新宿などにも展開していましたが、皆、閉店で寂しいですね。
コンパハローなど大学生向けの格安の飲み屋さんも何軒かありました。
後楽園球場が近く、野球の応援(阪神、近鉄)には絶好の地でした。
駅前には教育ビルがあり、不昧堂(ふまいどう)書店が入っていました。椎名誠氏のエッセイに出て来るお店で、立ち読みに堪えかねた御店主が週刊誌をガラスケースに入れた珍しいエピソードを持つお店でした。
当時の竹早公園にはテニスコート以外にプールがありました。倫社の予習に事典類が必要なため、毎週、小石川図書館をよく利用しましたが、夕方になると某新興宗教団体が勤行のお題目を上げるので迷惑でした。
理工系出版の共立出版が地味な存在でしたが、その後、コンピューターのC言語の解説本で大躍進するとは、当時は想像もできませんでした。
スーパーの三徳が開店したのも確か中学2生の時でした。近隣に商店街がないため、それまでは駅に隣接する地下の小規模スーパーくらいしかなく、お肉や野菜は播磨坂近くの小売店に行くか、牛乳でさえ駅に隣接するパン屋さんで買っていました。ちょっとしたものはバスで柳町の商店街に行くか、池袋に出てISP(池袋ショッピングパーク)か西武で買う方が便利でした。
柴田恭兵さん主演の「赤い嵐」のヒロイン能瀬慶子さんが地元の窪町小学校と文京1中卒で話題になりました。